三島由紀夫のこと
三島由紀夫が割腹して亡くなった日、その時間の事は、その衝撃的なあまり、だれの記憶にもあることではないのだろうか。やけに日差しの眩しいその日、(1970年11月25日)20歳の私は市ヶ谷方面に向かうタクシーの中にいた。女友達数人と、防衛庁前の「かっぱ」(和食店)でランチをするために。 同乗していたM子と、やけに渋滞している道路の話をしていると、三島が演説しているというアナウンサーの声がラジオからきこえた。とっさに状況はよめなかったけれど、何か大変な事態!と胸がざわついた。数か月前、偶然見た三島の、いままで見たことのない、出会ったことのない目の色をおもいだしたから。当時飯倉にあったキャンティ(敷居が高くて、2~3度しか言ったことはない)の前で少し酔った三島をみた。誰かと笑いさざめきながら出てきて、私たち(私と母)とすれちがう。
一瞬にして目の色が変わった。恐ろしいくらい鋭く射るように。
そしてまた一瞬。「こんばんは」と笑いかけてきた。三島由紀夫だ!と口あんぐりの私たちの周りにいい匂いの風がふいた。なんの匂いだろう。嗅いだ事のない爽やかな匂い。お酒のにおい?
痩せて小柄で、鋭い視線とうらはらなあの匂いがわすれられない。
ちなみに、もう廃版になった「複雑な彼」(安倍譲二がモデルと言われている)今でも大事に持っている私です。三島の最も好きな作品なので。
by セイラ
ちなみに、もう廃版になった「複雑な彼」(安倍譲二がモデルと言われている)今でも大事に持っている私です。三島の最も好きな作品なので。
by セイラ
0 件のコメント:
コメントを投稿