浅田次郎が実母と義母「2人の母」というエッセイの中でこう書いている。
私は介護という言葉が余り好きではない。冷ややかな社 会性を感ずるからである。子が親に孝養をつくすのは当 たり前で、ましてや家長たる男子にとってそれは明らかな
人生の一部である。孝の精神が欠落しているから、あら ためて介護という社会的用語を用意しなければならなか ったのだろう。子どもらは結婚とともにみな独立して別の
家族となる。介護という言葉はそうした社会において「す でに他人となった親の面倒をみる」というアメリカ的な義 務をさしているのではなかろうか。
介護という言葉が家族のなかでは何となく空々しく感じていた私は、ポンと膝をうった。その通り、思っていたことを表現してくれたと。作者は、金や労力や時間の私事にかまけて義母を死なせるわけにはいかないとあちこちの病院を訪ね歩いた。いっぽう、実母は、介護どころか一切の医療行為を拒否して亡くなったそうな。
発癌宣告をうけて後、通院をやめて子達の巣立った都営住宅に死の一か月前までの5年間、一人で住み続けたそうだ。
死に臨んであらゆる考を拒んだ実母は死を以て考の精神を教えたとある。
身体髪膚 之を父母に受く
髪、皮膚、つめの先まで親からもらったものなのだ。そのゆるぎない事実を忘れている私を含めて多数の人にハッときずいてほしい。親に対してはそう思うけれど、これはひとたび己が親の立場になると、子に対してはこのエッセイの中の実母のようでありたいという矛盾を抱えてしまった。
by セイラ